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政治クイズと、日本のサヨク

2007/03/09 13:35

 

己が理想とする目的に向かい、邁進するのは良い事と思う。しかし、偶には立ち止まり、己が立っている場所を確認するのもまた、必要なのではないだろうか。

というわけで、適当エントリその2。(前段をまるっきり受けていないが)
知っている方も多いと思われるが、「World's Smallest Political Quiz(世界一小さな政治クイズ)」を紹介しようと思う。
このクイズは、10の設問に答えることで簡易に自身の政治的立場を確認できると言うクイズで、1969年に政治学者デビッド・ノーラン氏が考案したもの。単純な左右を問うクイズではないので、初めての方は興味を抱かれることと思う。

設問にはそれぞれ「賛成(A)」「たぶん賛成(M)」「反対(D)」の3つで答える。
設問はこちらのサイト[アナルコ・キャピタリズム研究(仮)]を、それによる結果はこちらのサイト[Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~]を参照し、軽い気持ちで試してみよう。

私の結果は「Centrist(中間主義者)」だった。説明も納得できるものだ。
下図が私の結果グラフである。見て分かるように、個人に関しては正に中間であり、経済に関してはやや政府寄りといったところか。

My Quiz Score: Centrist

さて、このCentrist(中間主義者)であるが、日本ではここに位置する国民が多いはずと、予てから考えている。
結論を言うと、マスコミが云う右翼とかいうものは存在しないと、そう考えているのだ。それはつまり、日本における基準点が戦後、極左に近い位置に置かれているのではないだろうか、という疑念である。
そして日本における左翼とは、本来的な左翼では決して無いと云う、確信にも似た己の主張だ。

似たような思いがあったのか、この事を上手く纏めている方がいる。こちらのサイト[Dogma_and_prejudice]より、結びの箇所を引用する。

 これに対して、日本の保守というのは、その多くが、「自分はこうする」「自分はこう思う」であって、伝統的な価値を守るために「政府の介入」を求めるというレベルの人は少ないのではないかなと思うのです。つまり、日本の保守の大部分は、価値の多様性を認める人たちで、国際的に見れば「リベラル」な人ではないのかと・・・。「日本の保守」は「伝統的な価値を好むリベラル」と言った方がいいのかも知れません。

 蛇足ですが、「日本の左翼」というのは、今となっては、「南京大虐殺」だの「従軍慰安婦の強制連行」だのといった立証もされていない反日史観を信じて、「中朝韓」と共に、日本を非難する狂信者に過ぎません。こんなのは、本来の「左翼」ではない。只の「反日家」です。国際的に見れば、本当の「左翼」はもっとまともです。

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浅野前宮城県知事について

2007/03/07 16:49

 

大分さぼっているブログを更新しよう。浅野前宮城県知事について書こうと思う。
この方が任期中に仙台市に住んでは居たが、印象に残る方ではなかった。しかし、彼の風評には多く接したように思う。これについて、少々述べたい。

よく挙がった話が、彼を取り巻くよく分からぬ市民による支援団体の評判が悪い事と、県職員は彼を良く思っていないという話だ。最近知られる事となった、宮城県が借金を増やした頃の話である。
身内である筈の県職員からは「やる事がほとんど無駄」とか、浅野氏をこき下ろした内容しか聞いた記憶しかない。それでなんで浅野氏が知事なんだろう、と不思議に思えてしまう内容ばかりだった。(恐らくは河北新聞の影響なのだろう)
他人の風評しか知らないが、それだけでも知事としての能力は並と確信できた。彼は云われるほどの改革派知事ではないのだ。

さて浅野氏は早々に政策を公開したようだが、その中に「情報公開」を懲りもせず織り込むとは、ちょっと私には考えられない。
宮城県知事時代、それで警察と揉め、結果的には負の成果のみを遺した。都知事に就任すれば、再度揉める事は明白である。
都民は、これ以上の治安悪化を望んではいない。なのに上でゴタゴタやられて現場の治安が乱されては、たまったものではない。

以上のことから、私は都民は浅野氏を選ぶことは無い(一定の支持票は入る)と予想する。

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ケータイを買い換えたこととか

2007/03/02 15:44

 

2月に入ってすっかり怠け癖が板についてしまったようだ。ブログの更新が少ない。1月と2月でのエントリ数なんて、その差は一目瞭然である。我ながら情けない。(苦笑

私の発言欲が薄れてきたかと云えば、そうではない。云いたい事はあるのだが、私がブログを書くスタンスとして一定以上の情報を調べてから、というところにこだわっているからだ。
要は知ろうともしないで難癖をつける行為だけは行いたくない。だがそうなると現在の私の状況では、その条件をクリアするのに、些か時間と手段が足りていない。
流れに取り残されているような感じを受けるが、まぁ人間やれる事はそう多くない。手前のリズムで適度にやっていこうと思う。


さて数日前、携帯電話(W31SAⅡ)を1年半ぶりに買い換えてみた。以前のエントリに書いたように、私に携帯電話は必須である。基本、通話のみ出来れば良いのだが、これまで使用していた携帯電話はこすったり、落としたり、子供に放り投げられたりと、壊れなかった方が不思議なくらいだった。
本体が欠けたり、ヒビが入ったなどは無かったが、傷だらけである。
せっかくなので最新機種へと交換しようと思い立ったところ、しばし悩む。

私が現在使用しているキャリアはauだ。4年くらいである。そこで最新機種のカタログを見てみたら、最近のモデルは外部記憶装置がmicroSDカードとのこと。
おいおい、これでは数ヶ月前に買ったばかりのminiSDカード(256MB)が使えないではないか。
根が貧乏性である私には、この仕様変更が痛く感じる。おのれ、メディアで儲ける気だな。(言いがかり)

通話のみ出来れば良いとは云っても、やはり着うたフルや写真、動画も一通り楽しんでみたい。(だから貧乏症なんだって lol
データ容量には気を使わず、快適に使用したいところだ。とは言え、microSDカードを新たに買うのは出費がかさむ。
なら、本体の容量ができるだけ大きいのを。というわけで、SANYOのW51SAを選択。本体データ容量が1GBと申し分なし。ワンセグを録画でもしない限り、食いつぶす事はないだろう。

スライド式なのも、私にとっては大きなポイント。
実は二つ折りのケータイが好きではないのだ。いちいち開けて、それから―という作業が、非常に煩わしく感じる。
その点スライド式であれば、通話もそのまま。基本操作もそのままと、非常に私には馴染む使い方が出来る。
この使い方を考えればW52Tも選択肢に入るのだが、いかんせんお値段がはること。もう一点、auの前に使用していたDDIポケットの頃から、何故かSANYOの電話機をずっと使い続けていることが最大の理由。
別メーカーの機種に乗り換えたら、操作感が身につくまで時間がかかってしまうからだ。

今回買い換えたW51SAは、W31SAⅡとほぼ同じ操作方法。説明書を読まずとも大体わかるのが、ものぐさにはちょうど良い。
失敗だったのは、色々弄りすぎてパケット通信料が上限に達してしまったこと。
うぅむ、PCサイトビューアはもう使わんようにしよう。表示が遅いし、そこまでして見たいサイトも無い事だし。(因みにビューアはOperaだった)
問題は着うただ。何故、移行できないのだろう。いやまぁ、建前と本音は承知しているつもりだが、これはユーザーサービスを考えた場合、マイナス要素ではないだろうか。
仕方ない、LISMO!ソフトをPCにインストールして、そこから携帯へ転送する手法を採ろう。
・・・対象OSはWindows XPのみなのか? OSが2000である我がPCでは、のっけからダメではないか。


現在W51SAをつつがなく使用しつつも、その使用感に若干の不満点を抱えたまま、手に取ったケータイのディスプレイを覗きこむ日々を今後しばらく過ごす予定。

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文科相発言とマスコミ報道

2007/02/27 13:02

 

「大和民族がずっと日本の国を統治してきた日本は極めて同質的な国」
この発言は、多民族国家であるアメリカなどとの比較において出てきた言葉である。ところが、マスコミはそれを知っているくせに記事には書かない。
このことをきちんと伝えているのは、読売新聞(当該記事)しかない。冒頭の発言は比較論であって、日本には単一民族しかいないとは云っていないのだ。マスコミのこういうところに、我々は不信感を募らすのだ。

日本は世界的に見れば、「単一民族国家である」といって構わない。ほとんどの国が様々な民族が交わって形成されている中、これは珍しい部類だ。同じように韓国ベトナムも単一民族国家である。
勿論、現代であってはそれらの国にも他民族は少なからず住んでいるわけで、単純に「単一民族国家である」とは云えないだろう。
だからこそ伊吹文科相は「同質的」という発言に至ったと推察するわけだが、ここを切り出して「国が教育を支配するように画策している」とヒダリの者が得意気に発言するのが、私は気に入らない。

特に、これに火をつけたマスコミの各報道なんかは唾棄するものだ。この報道に限っては産経新聞においても同じだ。なんだ、この記事は。毎日新聞の記事の方がまだ詳しいではないか。
「同質的な国」であって何が悪いのか。国力として見た場合、「同質的」であることはひとつの強みである。その強みを活かす事と、人権を尊重する事は両立しないという事なのか?
発言中の「何が問題なのか」を定義せずに、「結びに過去の問題発言を引用することで、前段の文章に悪印象を残す」なんて、印象操作もいいとこだ。

人権をバターに喩えたことにしても、マスコミは意図的に話を逸らす。良いか、この発言は「教育再生の現状と展望」について出てきたのだ。この人権の例え話についても、教育に絡めての事であることも分かろう。
教育現場を良く見てみよ。教育基本法改正前には、子供たちの教育などほったらかして座り込みをする教育者たち。彼らが主張する主たる理由も「人権」だったはずだ。
彼らの様は、まさしく人権メタボそのものではないか。国歌国旗に反対するのも人権だったな。勘違いもいいとこだ。
多民族国家であるアメリカでさえ、民族を問わず国旗を仰ぎ、国歌を歌い、国家に忠誠を誓うのだ。教育現場に巣食う人権屋や、それに寄生する者たちのその様がどれ程滑稽なものであることか。
彼らは都合よく人権を振りかざしているだけである。伊吹文科相の例え話は、私には良く言い表しているな、と拍手を送りたいくらいだ。

マスコミは何時だって「私たちはあなた(読者)の目・鼻・耳です」と云いつつ記事を書く。そうして記事の〝伝えたい事〟の文には主語を用いない。何故なら主語は「あなた(読者)」だから、というわけだ。
そうやって我々は「実はマスコミが云いたい事」を「我々の云いたい事(= 世論)」と印象を操作されている。
私はこれらマスコミのマッチポンプには、いい加減イラつきを通り越している。

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その思考にこそ、老いを感じる

2007/02/26 14:10

 

立花隆氏が nikkei BPnet ビジネススタイル連載しているコラムがある。知っている方もいるだろうが、そのコラムはほぼ安倍政権、時には安倍首相個人への批判である。
批判といえば聞こえはいいが、内容はほとんどあってないに等しい。
とにかく安倍首相を引き摺り下ろしたくてたまらない。それも手法を問わず、なんとしても。
そんな立花氏の姿勢が、滲み出ているようなコラムである。

最新エントリでは「安倍政権は首相自身の健康が問題」だとして、週刊誌レベルでの話である健康問題を、さも「科学的に検証してみた」という体裁を整えたつもりの文体で以って批判材料としている。
その姿勢の醜さたるや、週刊誌レベル以下である。裏付けは取れているのだろうか?
健康問題があるから「首相(或いは政治家)に相応しくない」のであれば、「次の内閣」の首相である小沢氏も相応しくない、となる。
政権批判とは、このようなお粗末な内容でよいのか?

仮に、安倍首相の健康に問題があったとしよう。
では自身の健康問題を理由に、その首相たる責務を一時でも放棄した事があっただろうか。一度も国会を休まなかったではないか。
首相というストレスは、軽くない事ぐらい分かろうもの。全くの健康体を保つ事の方が難しい事くらい、容易に想像できよう。

しかし、立花氏のエントリはそうではない。「健康に問題がある、だから安倍首相(安倍政権)は問題」という、結論ありきだ。
政権を批判したいのであれば、政策で批判するべきだろう。このような憎悪の余りに悪口と化した文章を読まされて喜ぶのは、サヨクでしかない。それも旧い考えしか持たぬ者だ。
私は立花氏の、この文章に表れる思考にこそ老いを感じる。皆さんはどう感じられただろうか?

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不可能な方も居るだろうな

2007/02/20 15:44

 

コンピュータを一切使用せず、1日を過ごす―。
これが出来ない方は、今の世にあっては少なからず存在するだろう。私なんぞはコンピュータ(PCと解釈する)を使用できなくても、特に問題は無い。なのでこの記事、というか公式サイトの問いには「I can」と、自信を持って答えることが出来る。


この記事にTBされたエントリをみると、やはり「I cannot」と答える人が居る。不可能な方も、かなり自信を持って答えている。現状では半数を超えているようだ。
しかしそれは、全体を見れば「少ない」割合である。何故なら、コンピュータが家庭内に普通に使用されだしたのは、ここ10年くらいだからだ。
それ以前はコンピュータは贅沢品。1台数十万とし、32MBのメモリが高級品。100MB単位のHDDなんて、高嶺の花もいいところだった。
その時代の人たちは、普通にコンピュータなしの生活を過ごしてきたのだ。不可能であろうはずが無い人たちの人口が、軽く過半数を超えている事が理解できるはずだ。


当ブログをご覧いただいた方のほとんどが、私が土日祝日において当ブログを更新することがほぼ無いなと、お気づきの事と思う。では私はそれらの日、何をして過ごしているのか?
私は休みの日には好きな本を読んだり、TVやDVDを観たり、子供と遊んだり、家族と出かけたりなどをして過ごしている。コンピュータを使わなくとも、いくらでも時間を潰す事ができるのだ。
休日でもコンピュータなしの生活が「I cannot」の方は、たかだか数年程度の歴史しか持たぬ道具に、振り回されすぎではないだろうか?


そんな事を書くと、お前何様という感じる方も居るだろうが、誤解しないで欲しい。前段を以って「だから私は貴方とは違う」と、大上段に構えたいわけではない。
私が「I can」と答えられる条件は「対象を個人、機器は家庭内PC、時は休日」と定義した場合であって、これが崩れるとそうではないのだ。
条件中の機器を「携帯電話も対象」とした場合、途端に私は「I cannot」となる。私はほとんど家の電話には出ないので、私と連絡を取るときは専ら携帯となり、また休日とはいえ連絡が取れなければ仕事上、問題になり得るからだ。
ただ、「毎日ではないよ」というところで、一応私なりの「道具は道具」と云うスタンスを保っているのではないかな、と考えているのだ。


「~を使わずに1日を過ごせるか」
これが30年前だったらテレビが対象となったのではないだろうか。更に遡ればラジオや新聞などのメディア、或いは生活必需品へと対象が移っていくと思う。それはそれら必需品へのアンチテーゼと云えるだろう。
「無くても平気か?」と問う事により、それが当たり前に在る事が、どれ程重要な事であるかを再確認できる。
逆に云えば、この対象としてコンピュータが選ばれたということは、遂にコンピュータが完全に市民権を得たということだろう。そして、その先に在るインターネットの重要性を、誰しもが認識しているという証でもある。


さて、先程の条件を「対象を個人以外、時も指定せず」として妄想してみる。
現代において会社・組織等でコンピュータを導入していないところは無い。コンピュータで何らかの処理を施して運用している。バッチなどでその日の業務データを処理しているところもあるだろう。
1日でもコンピュータ業務が完全に止まるとなれば大問題だ。
身近な例で云えばコンピニエンスストアだ。そこで使用されているPOSシステムが止まれば、在庫管理が途端に困難となり、商品の発注数を纏められずに翌日在庫切れを起こす品目多数といった事態が発生する。
そうなれば機会損失ということで、会計では赤字項目として記載されることだろう。余程の機械嫌いで無い限りは、こんな愚かな事はしない。
やはり、コンピュータは今の世に在っては必要不可欠なのだ。


つらつら、暇な時間に書き連ねてみた。尻切れトンボのようにまとまりの無い文章ではあるが、今日はこのような気分である。お目汚し失礼。

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箕面市長、無防備条例に賛成

2007/02/16 17:04

 

相も変らぬ、プロ市民の域を出ない市長である。本当に先の議会において、不信任決議案が否決されたことが惜しまれる。

箕面市平和のまち条例案 市長賛成、提案へ

2007年02月15日

 市民団体「箕面市平和のまち条例をつくる会」(恩地庸之代表)が4264人分の署名を集めて箕面市に直接請求した「市平和のまち条例」について、藤沢純一市長は14日、賛成意見をつけ、20日に開会される市議会定例会に提案することを明らかにした。しかし、同様の条例制定に向けた直接請求は堺市などでもあったが、市議会で可決された例はなく、箕面市議会で条例案が可決されるかは微妙だ。

 条例案は、無防備地域への攻撃を禁じたジュネーブ条約第1追加議定書の規定に基づき、箕面市が「無防備地域宣言」をすることなどが盛り込まれている。

 藤沢市長は、議案書で「直接請求に寄せられた多くの市民の思いを受け止め、平和のまちを実現していくため、この条例案について慎重に審議されることをお願いする」とした。箕面市によると、同様の条例制定に向けた直接請求は、堺市や京都市など全国で10以上の自治体であったが、市議会で可決された例はない。

「平和のまち条例」などと名称を変えて、印象を良くしようとしているが、中身はいくつもの自治体で否決されている無防備地域条例である。
以前、「無防備地域条例の危うさ」として問題点を指摘した。
読んでいただければ、ジュネーブ条約第1追加議定書で規定されている内容は、彼らが言うような「戦争に巻き込まれないため」ではないことが分かるだろう。
無防備地域条例とは、敵国が攻めてきた場合に無条件で占領されるためのものである。

そして、占領下においては占領軍が統治する事となるが、占領軍は占領地の住民に対し、資産や慰安婦の提供を求めたり、徴兵を行うことが出来る。更に占領軍の命令に従わぬ者は、反乱分子として処理することも出来るのだ。

この条例案に賛成した市長は、東京都国立市長・上原公子と大阪府箕面市長・藤沢純一のたった2名であることを明記したい。
この2市長は、自治体の長としての責任を放棄している。外患罪に問われかねない条例に賛成するなど、考えられない事である。
幸いな事に各自治体の議会議員たちは、共産党まで反対に回っているために、箕面市においても条例が可決される事はほぼ無い。(凉月さんのエントリを参照)
だがこの2市長については、可及的速やかに市民の手で、市長の座を明け渡してもらうことが必要だろう。


無防備都市宣言より引用

無防備地域宣言を条例化しようという運動がされている市町村

北海道  苫小牧市、札幌市
東京都  (品川区)、(荒川区)、板橋区、(大田区)、(国立市)、(日野市)、(目黒区)
千葉県  (市川市)
神奈川県 (藤沢市)
大阪府  (大阪市)、(枚方市)、(高槻市)、豊中市、箕面市、(堺市)
滋賀県  (大津市
奈良県  (奈良市
京都府  (京都市)、(向日市)、宇治市
兵庫県  (西宮市)
沖縄県  (竹富町)、石垣市

※括弧で閉じてある自治体は、議会で無防備地域条例案が否決済み。

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中国は周回遅れの大国

2007/02/16 15:45

 

中国に対して「大国の責任」を本気で求める国は、恐らく国際社会においていないことだろう。もしそのような国がひとつでもあるならば、先の衛星破壊の時、中国を擁護する意見が出てもいいはずだ。
実際は、擁護意見は寡聞にして聞かず、自国の被害を恐れて中国を非難した意見のみであった。

確かに中国に対し、「責任ある大国としての役割を求める声」が挙がっている。しかしそれは、軍事力を拡充する方向ではない中国は意図的に声を曲解している。
「大国の責任を果たすには軍事力を含む相当の力量が必要」という意識の在り様は、19世紀の国の在り様で、正に遅れてきた大国である
日本にとって、この中国の軍拡主義・覇権主義は頭痛の種だ。力に任せ、日本の利権を強奪すれすれの方法で掠め取ろうとする可能性がある。
その意識が確実に中国にあるからこそ、日本のEEZ内を土足で上がれるのだ。よくよく日本は、隣国との付き合い方を熟考しなければならない。

また、日本国内に巣食う特亜勢力にも気をつけねばなるまい。今回の中国の軍拡には、一切非難の声を挙げないサヨク共の妄言を蹴散らし、日本の主権を脅かされないようにすることだ。
もし、今後もまた中国が「大国の責任」などと云うのであれば、日本も遠慮する事はない。
大国であらせられる中国ODAは不要だ。その費用を回し、防衛省を国防省とし、9条を廃し、核装備を検討せよ。国防のためにあらゆる手段を講じるのだ。
日本は間違いなく現在、世界経済第2位の大国「眠れる巨人」なのだから。

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「差別されたい」者たち

2007/02/16 15:07

 

差別落書き発見へ、郵便局の情報活用 伊賀市、6郵便局と覚書

 伊賀市は15日、上野郵便局など市内6つの集配郵便局と、差別落書きなどの情報提供に関する覚書を締結した。今後、集配中の郵便局員が街角で差別や人権侵害につながる落書きを発見した場合、市に連絡することで、早期発見と被害拡大の防止を図る。

 郵便局員はふだんから、町並みの事情や変化に詳しいことから、同市では一昨年3月、市内での不法投棄について情報提供を求める覚書を締結した。今回は、人権侵害となる落書きにも、この情報ネットワークを活用することにした。

 同市内では平成17年度、名阪国道サービスエリアやガードレールなどで計2件の差別落書きを発見。道路管理者に通報するなどして落書きを消した。18年度でもすでに1件の差別落書きがあったという。

(2007/02/16 03:28)

部落差別という旧世代の因習は、世代を重ねる事によって薄れていることは確実である。新社会人が研修で初めて部落差別なる単語を聞いた、なんてのはよくある話だ。

何故、この言葉が自然消滅しないのか。それは差別利権なるものが存在し、それを差別される側が意識して利用しているからだ。
この伊賀市の例も、そういった意識が表に出た結果であると見ている。
その証左に、部落解放が盛んではない東日本において、西日本のような騒がしい事件が起きているだろうか?

彼らは「差別される」のではなく、「差別されたい」のだ。利権を得たいがために敢えて被差別者で在ることを望む。
そうして生まれた利権を貪るのが、彼らの正しい姿である。それが弱者で在ろうはずはない。

悲しむべきは、部落差別に関わる地方自治体の多くが彼らの策略に乗せられ、或いは内側に棲みつかれ、正しい行動を行えずにいる。
私は予想しよう。近く、「差別落書きが在った」との報道が為される事だろう。誰が行ったのかは、全く不明のままで。
流れを変えるには、市民レベルでの意識改革が必要に思われる。

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デブリがダメならMDもダメ

2007/02/09 18:26

 

毎日新聞の、金子秀敏なる記者が書いた記事を要約すると、タイトルとなる。
ええと、あれだ。中国宇宙軍拡を非難しときながら今回の衛星破壊を秘密裏に行った事とか、未だ中国全土に広がる数百といわれるミサイルの弾頭が、日本に向いている事には触れずに、これか。
そもそも「他国への攻撃が可能となる手段」と「他国からの攻撃を防衛する手段」が、同列に扱われる事に違和感を感じるのだが。
金子秀敏か、覚えておこう。

早い話が:星くずのブーメラン=金子秀敏

 「デブリ」とはフランス語で崩れ落ちた岩のかけら。「スペース(宇宙)デブリ」と言えば、宇宙に放置された人工衛星やロケットの破片である。宇宙ゴミとも言われる。

 中国がミサイルを使った衛星撃墜実験を行ったら、握りこぶし大のスペースデブリ517個が発生した。地球の周囲を周回している。もしも、ほかの人工衛星や宇宙ステーションに衝突したら大事故になるという。

 日本政府はこのデブリで中国を非難した。確かにデブリの発生は問題なのだが、よく考えるとデブリはブーメランのように日本自身に戻ってくる問題でもある。

 なぜなら、宇宙空間を飛んでくる敵のミサイルを迎撃ミサイルで爆破するという米国ミサイル防衛MD)システムに、日本は資金面、技術面で協力しているのである。

 ミサイル防衛に反対する米国の科学者たちは「ミサイルの迎撃は大量の宇宙ゴミを出すので、低軌道を使う人工衛星が永久に使えなくなる」と警告している。中国製のデブリが悪いなら、ミサイル防衛で出る米国製デブリも非難されなければならない

 ではデブリの出ない衛星攻撃兵器ならいいのか。中国の実験後、米国政府が公表した資料によると、中国が研究しているのはミサイルによる衛星撃墜だけではない。「米国の衛星は最近、中国から地上レーザーの照射を受けたが、損害はなかった」という。宇宙軍拡で米国を追う中国はデブリの出ないレーザー兵器も研究しているのだ。完成しているかもしれない。

 かつて米国ロシアが弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を結んでいた当時、ミサイルによる衛星攻撃は禁止されていた。レーザー兵器はそれに代わって開発された。

 地球の周りには日本の衛星も回っている。破壊されては困る。日本が中国に申し入れるべきは、衛星攻撃兵器の禁止ではないだろうか。

 だが、これもブーメランである。衛星のミサイル攻撃を禁じたABM条約を一方的に破棄したのは、米国のブッシュ大統領である。ミサイル防衛に不都合だったからだ。

 一方、ジュネーブ軍縮会議で衛星攻撃兵器の禁止を提案してきたのは中国だ。米国は反対した。日本が中国の宇宙軍拡に反対しようとするなら、ミサイル防衛にも反対しなくては筋が通らないのである。(専門編集委員)

毎日新聞 2007年2月8日 東京夕刊

あれか、いわゆる覚えたての単語を使ってみたかったのか。
ブーメランと云いたいだけか? 使い方、間違えているぞ。

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